個人事業としてのリスクを考える

脱原発温室効果ガスの削減、貿易赤字の解消、エネルギー安全保障対策など、様々な社会課題をクリアできる再生可能エネルギー事業ですが、資金をあまりもっておらずローンを抱えたサラリーマンが参入するとなると、どうしても不安が募ります。もう50代半ばですし、失敗が許されません。エネルギーを中心とするインフラビジネスは大資本の企業しか参入できないと言われていましたが、小規模ながらも一個人が参入できるというのみ魅力でした。

そこで、こういうビジネスだったらやろうと条件を上げてみました。

 

  • 大きな手間がかからないこと
  • BCPリスクが少ないこと
  • 浮き沈みが少なく、長期に渡って安定していること
  • キャッシュフローがマイナスにならないこと

 

以上の4条件が揃えば、たいして儲からなくても、社会に貢献できるのでやる、一つでもクリアしなければやらない、と決めました。

 

1番目の手間については、本業のプロである以上、本末転倒は避けたいという考えがあります。会社の仲間や上司、部下に迷惑をかけるようでは、プロとして失格です。社内外での信用を棄損します。平日夜と土日、たまの有休のいずれかでやれる範囲にとどめなければならないと思いました。

 

2番目のBCPですが、ビジネス上のリスクです。設備投資型の事業ですので、発電しなくなることが一番の事業上のリスクです。発電=売電=売上です。ここが不安定だと事業継続が難しくなります。機械なので故障がつきものです。万が一故障した時に、自分では治せません。故障に対する早期の対策が一番になります。その他、自然災害リスクがありますが、前者はメンテナンス契約、後者は保険でカバーできるということがわかりました。メンテナンスや保険でカバーでき、その費用を賄えてしかもキャッシュフローがプラスであれば問題ありません。津波地震は保険適用対象外ですので、海沿いや地震が少ない地域を選べばリスクは減ります。

 

3番目の安定性ですが、事業は景気に左右されがちです。太陽光発電とよく比較される不動産の場合、景気が悪ければ、空室が出たり、家賃を下げないといけなかったり、近くに新しいマンションが建つと競争激化になったりして、収入自体が不安定になります。現在もコロナの影響で不動産は家賃が払えない法人や住民が急増しています。実は私も身に染みて経験しています。再生可能エネルギー事業は、景気に全く左右されません。今年は梅雨が長い、日照時間が少ないというネガティブな話もありますが、その逆だってあります。20年間で平均してしまえば、年度による多少の振れはありますが、極めて安定しています。

 

4番目は結構重要です。キャッシュフローがマイナスになると補填するための手出しが必要になるからです。毎月お小遣いとへそくりで補填せねばなりません。そうすると辛くなって長続きしません。また、何か事故があって、キャッシュが必要な時に手当することができません。年次単位でのマイナスは論外、あまり売電収入が低い月でもキャッシュフローがマイナスにならないようにしないと大変なことになります。特に太陽光発電事業は飲料ビジネスと似ていて、春夏で大きく稼ぎ、秋冬は売電収入が大きく下がります。日照時間が最も長い夏至の前後に大きく稼ぎ、一番日照時間が短い冬至の時は収入が減ります。12月の売電収入は5月の半分程度です。あくまで計画上は、単月でもキャッシュフローがマイナスにならない物件を選んで投資しています。

 

始める前は、こんな虫の良い事業はあるのか?絶対に落とし穴があると疑っておりました。太陽光業者の営業マンに騙されているに違いないと、何度もネガティブな要因を探したものです。この4条件は必ず守っています。今も売り込みがありますが、4条件から逸脱する物件は決して買いません。

 

貿易と安全保障で国に貢献できる事業

東日本大震災後、当時の民主党政権原発を止めました。しかし電気は必要なので、電力会社は、火力発電所を増設しました。火力発電所の燃料は主に石炭とLNGになります。日本は大量の石炭とLNGを輸入せねばなりません。日本での需要が増えたせいかどうかはわかりませんが、この年に石油相場は再び急騰し、1バレル100ドルを超えたのです。その後2014年7月まで100ドル前後の相場が続きました。

 

LNGの量と単価が両方とも増えたので、一気にエネルギー費が増加しました。しかもほぼ全量輸入です。この影響は日本経済に与えるインパクトは大きく、この年、日本は輸入超過となり、貿易黒字から赤字に転落します。貿易赤字は2011年から2015年まで続きます。2014年は12。8兆円の赤字になります。原油相場と貿易赤字が正の相関関係にあるのです。

 

日本は火力発電所をフル操業するために燃料を国際相場で購入するしかなかったのです。直近過去5年の原油相場は50ドル±20ドルぐらいで推移していますので、東日本大震災後の3年間は、異常な高値が続いたことになります。

 

エネルギーの海外依存の高まりは、経済面だけではなく、政治面でも問題が生じます。

安全保障の観点でも問題と言えます。太平洋戦争の勃発は、アメリカによる日本へ石油の禁輸が引き金になっていると習いましたが、エネルギーを他国に頼っているということは、政治的にも非常に不安定であるともいえます。100%自国で賄うのは難しいのでしょうが、ある一定の割合は自国で生産できるようになった方が断然良いのです。

 

再生可能エネルギーは、太陽光も風力も部材はほとんど中国製かもしれませんが、自国で生産できるエネルギーです。再エネ比率が増えれば、経済面と安全保障面の両面で日本に貢献できるようになるのです。

 

その後、石油単価の下落に加え、再エネの普及も手伝い、貿易赤字は徐々に解消され、再び貿易黒字に戻ることができました。企業業績でいえば、赤字から黒字へのV時回復ですね。

 

再エネ事業に投資されている我々は、知らず知らずのうちに日本経済と安全保障にも貢献しているのです。

社会と事業の関係性

リーマン・ショックの後、世界経済は急速に落ち込み、産業が停止したため、多くの雇用が失われました。資本主義についての是非がずいぶん議論されました。儲かることが目的化してしまうと、暴走が止まらなくなり、逆に人を不幸にするようになります。

 

一方で、CSRを進めることが良いのですが、寄付型のCSRは予算が年初に設定されていますので、超過することは許されませんので、どうしても限界があります。予算の範囲内での社会貢献しかできないのです。

 

ビジネスそれ自体が社会課題の解決型であれば、事業が拡大すればするほど、社会へのギフトが多くなります。社会課題解決型のビジネスを拡大すれば、社会はどんどん良くなります。

 

単に地域、社会のステークホルダーの犠牲の上に立って、顧客や株主だけが喜ぶ事業は長続きしません。一例をあげると、工場で廃液処理をしなければ、その分コストがかからないので、低コストで製品ができます。それを安いと言って喜んで購入する消費者がいたり、コスト競争力高い、成長性が高いと言って企業の株を買う株主がいます。一方で、垂れ流した廃液のせいで、河川が汚染され、汚染物質にまみれた魚を食べた地域住民が病気になる。これでは株主と地域がWIN-WINの関係になりません。

 

2010年頃、スイスの世界的チョコレート会社が、原料のパーム油を増産するために、熱帯雨林を伐採し、オラウータンが死ぬなど生態系を破壊していると指摘されました。世界的に有名な国際環境団体が同社の看板チョコレート商品を買うこと=オラウータンを殺すことだという一大キャンペーンを行ったのです。その企業の主力のチョコレートがチェーンソーのごとく熱帯雨林の木々をなぎ倒し、オラウータンを切り刻んでいくという残酷な動画を作成しネットで大々的に流したのです。再生回数は150万回以上と言われています。(現在でも、パーム油、森林伐採オラウータンググると出てきます。)

 

私利私欲にまみれると社会から大変なしっぺ返しを食らうということです。事業というのは人の生活、生態系を含めた地域環境、社会の役に立たなければ、長続きしないのだと思います。

 

前振りが長くなりましたが、太陽光発電をはじめとする再生可能エネルギーは、クリーンなエネルギーです。CO2を主体とする温室効果ガスをほとんど排出しません。気温上昇が収まれば気候変動を少なくできるかもしれません。一時期、CSRの一環として植樹をする企業が増えました。植樹自体は非常に良いイメージがありますが、CO2削減効果はあまり大きくないようです。現在、私が所有している発電所は1発電所で約5,000本の杉と同等なCO2削減効果があるそうです。4基持っているので、毎年2万本の杉を植えているのと同じです。一人ではとても2万本の植樹をすることは経済的にも、肉体的にも不可能ですが、太陽光発電所を持つと、それぐらい大きなインパクトで社会に貢献できるのです。

 

利益を稼ぐことはもちろん重要ですが、多くの方が公益性を意識し、事業を通じて環境に良いことを積み重ねていくと、より良い未来が実現できると思います。

東日本大震災の復興ボランティアを経験して

環境教育プログラムが終了した後、東日本大震災が起きました。今さら説明する必要はありませんが、フクシマでの原発事故の悲惨な状況を契機に日本の世論は脱原発再生可能エネルギー導入に大きく舵が切られました。

 

しばらくして、勤務先で東北復興支援の取り組みが始まりました。当時は仕事が忙しく、復興支援ボランティアには参加できる余裕がありませんでした。ある時、先輩から復興ボランティア参加の勧めが私の心を動かしました。先輩のアドバイスは、「一口に東北といっても、津波の被害にあった岩手や宮城と原発問題を抱える福島では抱えている課題が全く違う。最低3か所に行くように」というものでした。

 

年に1~2度、有休を取得して復興ボランティアに参加しました。先輩のアドバイス通り、気仙沼原発のあった女川、石巻、福島の浪江、いわきなど、計10回ほど行き、ライフワークのようになりました。気仙沼など津波で町が全くなくなってしまったところは、見るも無残です。しかし人々の心は明るい。工事が始まり、次々に建物が建ち始めており、新しい街が作られていくのが見られる。今は仮設住宅でも、明日への希望が湧くからです。

 

一方、福島の方々の表情は硬く、暗いのです。津波の被害に遭った方々と違い、自分たちの家は無事ですが、放射線の線量が高く、生まれ故郷に戻れないのです。戻れる故郷がない人は、仮設住宅にいても、明日への希望を持つことは難しい。明日への希望が持てる地域と持てない地域。原発被害に苦しむ方々を、微力ですが何とかお救いできないかと思いました。

 

昨年、浪江町から車で北上し、立ち入り禁止地域ぎりぎりのところまで行きましたが、ゴーストタウンとなっていました。高速道路も一般道も、電光掲示板に線量の表示が出ています。また、この地域は、車の乗り入れはOKだが、降車はNGという地域もありました。


もちろん、車はほとんどが工事車両でした。マスコミが報道しないため、我々はフクシマ問題が日々に疎くなっていますが、このような光景を見ると、フクシマ問題は全然終わっていないのです。

 

ビジネスマンとしては、「発電コストが低く、CO2を排出しない原発は電源の一つとして残しておいた方が良い」「あまり感情的に脱原発を判断しない方がよい」という考えでしたが、このような復興支援を重ねることで、原発のない社会に向けて、再生可能エネルギーに舵を切るべきだという思いがどんどん強くなっていきました。

 

原発に恐怖に怯えて暮らすのではなく、原発に頼らない安心な社会を作ることが、我々親世代の使命であり、後世に「あの時の判断は間違っていなかった」と言われるように、主体的に働きかけなくてはいけないという思いがますます強くなりました。

 

震災発生当時は、自分が再生可能エネルギーの投資家になるなど露も思っていませんでしたが、長年にわたるボランティアの経験を通じて、再生可能性エネルギー普及への強い動機になったことは間違いありません。

原爆反対の世代

小学生の頃、少年ジャンプに「はだしのゲン」という漫画が連載されていました。広島の原爆投下後の広島の人たちの生活を描いたものでした。高度経済成長時に東京で生まれた私にとっては、あまり身近ではありませんでしたが、子供心に原爆の恐ろしさを感ぜずにはいられませんでした。

 

中学になり、どうしても広島に行きたいという思いが募り、クラスの仲間と鈍行列車を乗り継いで広島まで行きました。平和記念資料館で原爆の凄まじさや被爆者の悲惨さを見て、強い衝撃を受けました。その後に訪れた原爆死没者慰霊碑の碑文「安らかに眠ってください。過ちは繰り返しませぬから」を読み、絶対に原爆を投下するようなことはさせてはいけないと強く思いました。この時は中学2年生、まだ14歳でした。

 

大学時代も「非核三原則」がよく議論され、核に反対する風潮が強く、原子力発電所の賛否の議論が活発でした。そういう世相の中で育ちました。私は核保有は反対、原発は核といっても平和利用なので、消極的賛成、やむなし…と考えていました。

 

後年、転勤で広島に赴任になったことがあり、3年間過ごしました。最初に家族を連れて行ったところは平和記念資料館です。日本人である以上、絶対に行かなければならないところです。資料館で見たあまりの酷さに、妻は具合が悪くなってしまいました。

 

東日本大震災の福島の原発事故を見て、原発をやめて、一気に再生可能エネルギーにシフトすべきだと考えるようになりました。自ら再生可能エネルギーを普及する担い手になりたいという漠とした思いが湧き始めてきました。

 

ちなみに私の所有する発電所の名前は、NTG+地名を付けています。

NTGとは、

 

Nuclear power TGreen energy 

 

の略です。「核からクリーンエネルギーへ」という願いを込めて命名しました。

 

私が最初に太陽光発電所を建設したのは、静岡県御前崎市の浜岡地区で、稼働停止中の浜岡原子力発電所の近くです。原発を再稼働させたくないという思いからでした。

環境問題に興味をもったきっかけ

40歳代まではサラリーマン生活も順調にいき、50歳に近づくにつれて、自分のことばかりではなく、社会のお役に立てることを少しでもしたいという気持ちが徐々に膨らんできました。

 

私自身は阪神淡路大震災で被災し、多くの方に援助いただいた記憶が鮮明に残っています。人生の時間の一部を社会のために恩返しにあてたいという気持ちがあったのかもしれません。

 

リーマン・ショックまでは、米国流のROE経営、株主重視の経営、すなわち株主資本主義が重視されたことへの反骨があり、企業は目先の利益だけではなく、社会、人類、地球環境のために活動をしないと今に足をすくわれ、存続できないという思いがありました。

 

8年ほど前、港区にある学校法人が大手飲料メーカー系の財団と提携して環境イノベーターを養成する「環境教育プログラム」を立ち上げました。勤務先の所属部門で環境も担当したものの文系出身ということもあり、基礎から環境を一通り勉強したい。そして、事業を通じて社会に貢献したいという思いがあり、50歳の手習いで応募しました。

 

無事に試験も通り、毎週土曜日、3か月間環境について多面的に学ぶ機会を得ることができました。このプログラムのコンテンツは非常に素晴らしく、講義だけの耳学問だけではなく、現地に行って学ぶ機会が数多くありました。実際に北海道(自然共生)、九州(水素社会)、千葉(バイオマス発電)に見学に行きました。講義を受け、現場を見て、塾生同士で徹底的に議論をするのです。

 

再生可能エネルギーの普及について討議することがありました。再生可能エネルギーは欧州が先行していましたが、電源としての不安定さと日本では導入コストが高すぎて、社会に普及するのは現実的ではないように思いました。特に産業用で考えると、電気が不安定だとその都度、生産ラインを止めなければなりません。

 

またエネルギーコストが高くなることは日本の産業にはマイナス・インパクトが大きく、コスト競争力を削ぐことになりかねなません。再エネの導入は時期尚早で、むしろNOxやCO2の排出を極小化する高効率でクリーンな石炭火力を拡大し、排出したCO2は地下埋設するのが現実的だというのが現実的だと思っていました。

 

後年、自宅の屋根にソーラーシステムを検討し(結果的に断念)、ハイブリッドカーに買い替えるなど行動変容が起きたのは、このプログラムで環境リテラシーが高まったからです。自ら再生可能エネルギーの担い手になろうと決断したのも、この時の学びが大きく影響しています。

「税金をコントロールする」という意識の芽生え

サラリーマンにとって40代後半から50歳代が人生のうちで最も収入が高い時期ですが、同時に税金の負担もかなり多い方が多いのではないでしょうか。しかし、厚生年金、社会保険に加え、住宅ローンや子供の教育費を払うと、思いのほか少ししか残らないのです。贅沢な悩みだと言われるかもしれませんが、裕福な感覚は全くありません。

 

サラリーマンなので、税金は自分でコントロールすることはできず、給料から引かれていきます。そこに疑いの目をもたず、そういうものだと思っていました。自分でコントロールできないことには興味が湧きませんので、対策を打ちません。

 

太陽光発電投資の事業計画を作成し、損益計算書のシミュレーションを何度もしているときに、あることに気が付きました。最初の5年は赤字だけれど、キャッシュフローはずっとプラス。こんなこと本当にあるの? 計算間違えじゃない?と思いました。

 

原価償却方法には定額法と定率法がありますが、定率法にするか定額法にするかで、損益が大きく変わるのです。太陽光発電所の場合、土地が安い場所で事業を営みます。住宅地とは違い土地代は段違いに安いのです。だいたい土地が1割りに対して設備が9割りになります。2千万円の発電所を購入した場合、土地は2百万円前後、18百万円が設備費です。発電設備は17年で償却するのですが、定額法は毎年同額を費用計上しますが、定率法は設備が年々古くなり設備効率が落ちるという根拠から、一定の率で経費化することになります。減価償却費は費用計上できますが、キャッシュフローには関係ありません。したがって、キャッシュフローはプラスなのに、損益は赤字ということがありうるのです。

 

給与収入が人生で最も高い50代の時に事業が赤字になると、給料と損益通算することになるので、収めた税金が戻ってくることになります。給与収入が半分以下になると60歳以降は所得税率も下がりますので、節税効果が生じます。

 

但し、定率法と定額法でどちらが有利かという議論は諸々あります。定率法の方がトータールの税金支払額が多いので、定額法を好む方もいらっしゃいます。人生のステージや収入の状況で判断が変わってきますので、最終的にどちらを選ぶかは、正解はなく、人それぞれだと思います。

 

しかし、サラリーマンでも節税が可能なのかということを初めて知ることができたのです。これは発電事業をやったからわかったことで、サラリーマンの給与収入だけでは、税金をコントロールするという発想は出てきませんでした。自分で事業をすれば、税金支払いのコントロールが可能なのだということを初めて知ることができました。

 

個人投資家の皆さんは、常に税金のコントロールを考えており、「何をいまさら」とおっしゃるかもしれませんが、会社一筋のサラリーマンには新しい気づきでした。