原爆反対の世代

小学生の頃、少年ジャンプに「はだしのゲン」という漫画が連載されていました。広島の原爆投下後の広島の人たちの生活を描いたものでした。高度経済成長時に東京で生まれた私にとっては、あまり身近ではありませんでしたが、子供心に原爆の恐ろしさを感ぜずにはいられませんでした。

 

中学になり、どうしても広島に行きたいという思いが募り、クラスの仲間と鈍行列車を乗り継いで広島まで行きました。平和記念資料館で原爆の凄まじさや被爆者の悲惨さを見て、強い衝撃を受けました。その後に訪れた原爆死没者慰霊碑の碑文「安らかに眠ってください。過ちは繰り返しませぬから」を読み、絶対に原爆を投下するようなことはさせてはいけないと強く思いました。この時は中学2年生、まだ14歳でした。

 

大学時代も「非核三原則」がよく議論され、核に反対する風潮が強く、原子力発電所の賛否の議論が活発でした。そういう世相の中で育ちました。私は核保有は反対、原発は核といっても平和利用なので、消極的賛成、やむなし…と考えていました。

 

後年、転勤で広島に赴任になったことがあり、3年間過ごしました。最初に家族を連れて行ったところは平和記念資料館です。日本人である以上、絶対に行かなければならないところです。資料館で見たあまりの酷さに、妻は具合が悪くなってしまいました。

 

東日本大震災の福島の原発事故を見て、原発をやめて、一気に再生可能エネルギーにシフトすべきだと考えるようになりました。自ら再生可能エネルギーを普及する担い手になりたいという漠とした思いが湧き始めてきました。

 

ちなみに私の所有する発電所の名前は、NTG+地名を付けています。

NTGとは、

 

Nuclear power TGreen energy 

 

の略です。「核からクリーンエネルギーへ」という願いを込めて命名しました。

 

私が最初に太陽光発電所を建設したのは、静岡県御前崎市の浜岡地区で、稼働停止中の浜岡原子力発電所の近くです。原発を再稼働させたくないという思いからでした。