環境問題に興味をもったきっかけ

40歳代まではサラリーマン生活も順調にいき、50歳に近づくにつれて、自分のことばかりではなく、社会のお役に立てることを少しでもしたいという気持ちが徐々に膨らんできました。

 

私自身は阪神淡路大震災で被災し、多くの方に援助いただいた記憶が鮮明に残っています。人生の時間の一部を社会のために恩返しにあてたいという気持ちがあったのかもしれません。

 

リーマン・ショックまでは、米国流のROE経営、株主重視の経営、すなわち株主資本主義が重視されたことへの反骨があり、企業は目先の利益だけではなく、社会、人類、地球環境のために活動をしないと今に足をすくわれ、存続できないという思いがありました。

 

8年ほど前、港区にある学校法人が大手飲料メーカー系の財団と提携して環境イノベーターを養成する「環境教育プログラム」を立ち上げました。勤務先の所属部門で環境も担当したものの文系出身ということもあり、基礎から環境を一通り勉強したい。そして、事業を通じて社会に貢献したいという思いがあり、50歳の手習いで応募しました。

 

無事に試験も通り、毎週土曜日、3か月間環境について多面的に学ぶ機会を得ることができました。このプログラムのコンテンツは非常に素晴らしく、講義だけの耳学問だけではなく、現地に行って学ぶ機会が数多くありました。実際に北海道(自然共生)、九州(水素社会)、千葉(バイオマス発電)に見学に行きました。講義を受け、現場を見て、塾生同士で徹底的に議論をするのです。

 

再生可能エネルギーの普及について討議することがありました。再生可能エネルギーは欧州が先行していましたが、電源としての不安定さと日本では導入コストが高すぎて、社会に普及するのは現実的ではないように思いました。特に産業用で考えると、電気が不安定だとその都度、生産ラインを止めなければなりません。

 

またエネルギーコストが高くなることは日本の産業にはマイナス・インパクトが大きく、コスト競争力を削ぐことになりかねなません。再エネの導入は時期尚早で、むしろNOxやCO2の排出を極小化する高効率でクリーンな石炭火力を拡大し、排出したCO2は地下埋設するのが現実的だというのが現実的だと思っていました。

 

後年、自宅の屋根にソーラーシステムを検討し(結果的に断念)、ハイブリッドカーに買い替えるなど行動変容が起きたのは、このプログラムで環境リテラシーが高まったからです。自ら再生可能エネルギーの担い手になろうと決断したのも、この時の学びが大きく影響しています。